2nd seasonの人生

人生最悪の出来事が起こった時、人間はどう生きるのか。

師匠との日々

朝起きると、風邪をひきそうなぐらい冷え込んでいた。少し前までは肌が焦げそうなぐらい暑かったけれども、もう秋がやってきたのだなと実感した。ジョギングをしに、外に出ると頭を下げた稲の上を数え切れないほどの蜻蛉が飛んでいた。秋という季節は、気温が最適でもっとも過ごしやすい季節だと思う。それに、山の紅葉や田園風景の景色も美しい。

 

今日は、秋を迎えることができなかった師匠の話。

 

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僕には共に病気と戦う戦友であり、師匠である人がいる。彼は秋を迎えることができなかったから いた と言う方が正確であろうか。

 

 

「生きてるか?」

 

師匠は突如僕にこんな質問を投げかけてきた。僕と師匠はだいぶ前に、同じ病院の呼吸器外科病棟に入院していた。4人部屋に2人という広すぎて落ち着かない空間にいた。僕は長期間の入院ではなかったので、ただただ日が過ぎるのを待っていた。

 

「生きてるか?」

 

師匠はなんの前触れもなく僕に聞いてきた。日常から分断され、強制的に非日常の世界に入れられた僕の顔は死んでいたようだ。病院で生きてるとか死んでるとかそんな話するのはおかしいだろと思いつつ、生体モニターを見るときちんと心臓は動いていたので、生きてるよと答えておいた。

 

「生きてるなら顔もしっかり生きとけよ」

 

そんなことを言ってきた。師匠の体には無数の管が付いていて、動くこともままらない感じがした。手術直後で、師匠は生きているというよりも生かされているといった言葉の方がしっくりくる状態だった。でも、顔だけは生かされいるのではなく、生きていた。生き生きとしていた。

 

師匠は癌を患っていて、切除行った後だった。無事に切除がうまくいったとしても、5年生存率は極めて低く、予後不良と分類されていた。そのことを師匠自身は知っていて、その上で生き生きとした顔をしていた。癌という生物(正確には細胞)と共存し、完全に受け入れていたのだ。もう2度と同級生や大切な人と会えないかもしれないということも、誕生日を迎えられないかもしれないということも、自分には明日がないかもしれないということも全て受け入れていた。

 

「なんでそんなに師匠は自分の命が短いと知っていても生き生きとしてられるんですか?」

 

そう、聞いたことがある。

師匠は少し険しい顔をしたが、笑顔で一言だけ答えてくれた。

 

「僕は、今を生きたい。未来のことなんて、どれだけ考えたって誰にも分からない。だから、最高な今という時間を過ごす。」

 

 

師匠はやはり偉大だった。

どれだけ高く、真っ暗な未来が待ち受けていたとしても、臆することなく今を生きていた。諦めもしなかった。ただ、無心に力ある限り戦った。周りがどれだけ心配しようと、止めようと、師匠はやりたいことをした。人よりもヘモグロビンが少ない状態で15kmも自転車を漕いでいたし、大学の授業だって受けていた。病気と闘いボロボロになりながら一人前に恋愛だってして、彼女もいて、よく病室で見かけた。

 

 

でも、少し起こしたベッドの上で、呼吸器と心電図モニターを付けられている彼は、何だか小さく見えた。

 

 

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それから数年。師匠は2021年6月6日にこの世を去った。23歳という若さで。

 

師匠の最後の姿は堂々としていた。

 

病に抗うわけではなく、でも最期まで戦い切って、なんの後悔もない顔をしていた。諦めず、最期まで生き切った。

お疲れ様でした、師匠。

 

 

僕は師匠のお通夜には行ったけれど、葬式には行かなかった。

師匠の肉体がこの世から消え去る瞬間には立ち会いたくなかったし、耐えられる自信もなかった。医学的に師匠が死んだとしても、師匠は死なない。師匠の意思と約束は僕が引き継ぐ。

 

師匠の意思、それは生き切ること。

人生、生きていればたくさんのことがある。もちろん、楽しいことばっかじゃない。むしろ、辛いことしかないと思う。それでも、この世に生まれた以上、生きるしかない。死にたいと思いながら生きるのか、生きたいと思いながら生きるのか。それは自分で決めればいいが、間違いなく後者の方が幸せな人生を送れると思う。だから、諦めずに最後の最後まで生き切る。

 

師匠との約束、それは阪大に行くこと。

師匠は祖母と京大に進学する約束を交わしていた。だが、入試を控えた年、師匠の祖母は亡くなった。癌だった。師匠は、祖母との最後の約束を見事果たし、京大へ進学した。高3の夏まで部活に明け暮れていたのに、、、。だから僕も師匠とした最後の約束である、阪大への進学を果たして見せる。もちろん、師匠と同じ工学部で。

 

一般入試で受験するのは、僕に残された時間から逆算すると厳しい。

でも、師匠との最後の約束だけはどうしても果たしたいので、学校推薦でチャレンジしようと思う。これなら共通テストまでの日程で合否が決まる。これならなんとか間に合いそうだ。学校推薦の門はとても狭く、きっと合格はしない。でも、1%でも可能性があるならそれに賭けたい。師匠は、1%以下の可能性に賭けて治療をした。だから、僕も1%に賭ける。1%に見合わない1600字の志願書だって何時間も書けて書く。

それが、師匠の生き方であり、僕の生き様。

 

 

もう二度と味わうことのできない師匠との時間を思い出しながら、秋の虫の音が響き始めた公園を後にして、僕は家路につく。ポツリポツリと続く街灯に照らされては消え、また照らされては消えるように、師匠との日々、その会話の断片が際限なく蘇ってくる。

 

 将来の話、音楽の話、移植の話、それから大学の話。

 

それから、師匠の彼女さんが廊下で1人泣き崩れていたのは頭から離れない。今頃はどこで何をしているのかわからないし、知る術も無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「僕はね、自分のこと、可哀想だとは、思わないよ、むしろ、失ったものより、得たものの方が、多すぎて、自慢話に、なっちゃうからさ」

 

 

 

 

 

明日も生きよう。