2nd seasonの人生

人生最悪の出来事が起こった時、人間はどう生きるのか。

10年過ぎてこれからの10年に思うこと

今日はなんの日だろうか。言わずとも知れているが、10年前に東日本大震災が起こった日だ。こんな日だからこそ、こんな日にしか言えないことを書きたいと思う。

 

友人と話していて、僕の口は無意識に言葉を発した。

「オレは明日死ぬかもしれない。」 

 唐突、というのは語弊があるかもしれない。僕はその前後の話を右から左に聞いていたつもりはなくて、その一言のインパクトが大きすぎたのか、もしかすると両方なのかもしれないが、とにかくその一言が自分で言ったにも関わらず耳にこびりついた。「誰だってそうじゃないですか、極論を言うとね。だからいつ死んでもいいと思って生きる。」 明日死ぬかもしれないと感じて生きている人間がこの世にどれくらいいるだろうか。 2万人近い人々が明日を迎えられなかったあの出来事から、ちょうど10年が経った。明日が来ることを信じて疑わなかった2万の命が失われた。2万。20000。あの日、人の背丈を優に超える津波から逃げる人々の姿を、僕はテレビの中の出来事として捉えるので精一杯だった。自分はいままでの人生で、明日という日が来ることを無意識に信じて疑わなかったし、今日が来たことを確認さえもしなかった。そして事実、いままでずっと今日という日が訪れ続けた。だから明日が来ないかもしれないということは、そして今日が来なかったかもしれないということは、もはや文字の上でさえ理解することができない。リアリティの欠片もない。人生とは皮肉なもので、失ってからしか理解することのできない尊さが数多くある。自分にはやはり家族がいて、父も母も弟も、また明日同じように食卓を囲む。あるいは友人がいて、先輩や後輩がいて、たとえそれが遠く離れていたとしても、また会う日を信じて疑いはしない。小中高の先生でも、親族や近所の人であってもそう。しかしそれは単なる妄想にすぎない。吹けば飛ぶような幻。万人に等しく明日が訪れることは決してない。

「私は明日死ぬかもしれない。」

 あれは戦慄でも畏怖でも何でもなかった。口で言うのは容易いけれど、そうゆう生き方をするのは簡単ではない。自分もそういう生き方がしたい。 大抵の人は、死にたくない時に死ぬ。あの日亡くなった2万人のうち、死にたくなかった人はどれだけいたのだろう。当たり前の日常なんて幻でしかない。いつ死んでもいいなんて境地には、自分はおそらく立つことはできない。けれども、今日できることを今日やって、当たり前でない「当たり前」にひとつでも多く気づくことくらいなら出来そうな気がする。失ってから気付かされるような人生は御免だ。明日が来なかったとして、後悔するような今日を過ごしたくはない。今日が最後になるかもしれないとして、それでいいのかと問い続けていたい。今朝、起きるといつも通り今日が来ていた。当たり前ではない “いつも通り”。外に出てみると少し肌寒かったけれど、冬ではなく間違いなく春だった。春の匂いがしていた。手を伸ばして大きく深呼吸をすると、春の空は青く青く澄んでいた。今日が訪れたことに感謝しよう、そして春が訪れたことにも感謝しよう、そう思った。

あの日、今日が来なかった人のためにも。