2nd seasonの人生

人生最悪の出来事が起こった時、人間はどう生きるのか。

アライブ

死にたいと思いながら生きるのか、生きたいと思いながら生きるのか。果たしてどちらがあなたのために、周りの人のためになるのか。僕は今日も自分に問い続けながら生きる。

 

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密閉された病室から外に出れば爽やかな空気ーと言いたいところだが、実際は灼熱地獄だ。太陽は悪魔の如く我々の皮膚を焼き尽くし、汗を蒸発させに来る。長時間外にいると命の危険さえ感じるほどだ。ふと、そんなサウナの中にサイレンの音が響き渡る。救急車が病院にやってくるのだ。どんな方が運ばれてくるのかわからないが、もしかしたら熱中症かもしれない。もしかしたら、交通事故かもしれない。もしかしたら自殺かもしれない。

 

 

 

そう、自殺。

 

 

 

もうすぐやってくる9月1日。

年が変わるたびにやってくる9月1日。

僕は5年前のこの日に友人を亡くした。特別、変わった子でもなければ人間関係・家庭環境に悩んでいる様子もなかった。いじめを受けていたわけでもない。でも、ある日突然自ら死を選んだのだ。

 

 

当時、僕らは中学1年生だった。公立の小学校からお互い同じ中学校を受験し、晴れて中学生になれたはじめての夏休みだった。その中学校は進学校だったので、夏休みが多かったわけではなかった。でも、2週間以上あったし、長期休みと呼ぶには十分な休みだ。その2週間の中で、僕らはたくさん遊んだ。カブトムシも取りに行った。釣りにも行った。勉強だってした。宿題も全部初日に終わらせた。

 

それなのに、君は突然この世から居なくなった。全ての名簿から消され、戸籍からも消され、書類上ではまるで初めからいなかった存在にされたのだ。青白く、血の通っていない顔は疲れ果てていた。目を瞑っているけれど、死人に口はないけれど、この世への強い憎しみは感じられた。もう2度と君の口から死を選んだ理由を聞くことはできない。ましてや、一緒に遊ぶことはできない。カブトムシを取りに行って、蜂と戦うことだってできない。同級生にいたずらをして一緒に怒られることもできない。

 

 

君がこの世を去った以上、全て不可能なのだ。

 

 

こんなことなら、僕は喜んで蜂に刺された。同級生にだって喜んで怒られにいった。君のためならなんでもした。君が今日も生きててくれるなら。「君」と言う存在を知る人の心の中ではなく、令和の時代の1人の構成員として。

 

 

君の命は君ひとりの物じゃない。

君という存在を知る人、全員の心の中に分配されて君の命は生き続けている。その、分配された命は、たとえ君が死んだとしても死ぬことはない。決して無くなったり、忘れられるもの(命)じゃない。君が死を望んだとしても、分配された人たちは君が死ぬことを望まないし、許さないだろう。分配された君の命は、もちろん君のものでもあるが、分配された人のものでもある。君が死を望んだとしても、分配された人全員が望まない限り、死ぬことは許されない。

君の命は君1人のものじゃないんだ。

 

 

 

 

もうすぐ5回目の命日がやってくる。

君は本当に死にたかったのか?それしか残された道はなかったのか?

地獄から抜け出したいだけで、天国に行きたかったわけじゃないと僕は思うし、信じている。

きっと一生君を救えなかったことを僕は後悔するだろうし、君のことを忘れることはない。君は死んで終わりかもしれないが、分配された人は、残された人たちは、一生君の想いを抱えながら生きている。天国にいる君にこの文章を届けたそれでも尚、君は死を選ぶのか。

君が天国という違う世界にいる以上、答えを聞くことは出来ないが、いつか同じ世界にいった時に僕はこんな答えを聞きたい。

 

 

 

 

 

生きたい。

 

 

 

 

 

 

***

外に出ると、天寿を全うした蝉が横たわっていた。きっとこの蝉は短いけれども充実した日々を地上で送ったことだろう。きっと、子孫も残して心残りはないだろう。僕も残りの短い人生、悔いのないように、そして周りの人に後悔させないように生きようと思った。

 

どうか、僕の大切な人たちにこの文章が、想いが、届いていますように。

今、読んでくれているあなたと、その大切な人達にもこの想いが届きますように。

 

 

 

アライブ

     君は生きている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日も生きよう。