2nd seasonの人生

人生最悪の出来事が起こった時、人間はどう生きるのか。

努力は報われない

「努力は報われる」誰もが1回は聞いたことがあると思う。例えば、学校で、塾で、スポーツクラブで。「神様はあなたの努力を必ず見ていてくれるから、努力すれば助けてくれる。だから努力しなさい。」きっとそんな風に言われたことだと思う。果たして本当に努力すれば報われるのだろうか。きっと報われない。

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僕は手術を2度乗り切った。正確に言うと、2度目はまだ回復し、乗り切っている途中だが、乗り切れるに決まってる。なぜかと言うと、努力は報われるからだ。

手術の必要があることが判明したのは、昨年12月。この時はまだなんとも思ってなかった。ちょこっと入院して、ちょこっと手術したらすぐに退院できるんだろう。そんな風にしか思っていなかった。まだ手術日も決まってなかったし、「ゆくゆくは手術ですね。」と主治医から言われていただけだった。1週間ほど入院して退院すればまた当たり前のように学校に行って、友達と話して、授業を受けて、先生に怒られて、、、そんな生活があると信じて疑わなかった。だからかどうかはわからないけど、友達にも先生にも誰にも手術のことは話していなかった。そんな大事だと思っていなかったから。

事態が一転したのは、今年3月。定期的に阪大病院に通い、検査を受けていたのだが、そこで大きな問題が見つかった。血液検査の結果、3ヶ月間で正常値の約25倍に数値が跳ね上がってしまったのだ。ちょうどこの検査に行った日は学校で文化祭があった日だった。予約がどうしてもこの日しか取れなかったので、渋々文化祭を休んで病院にいった。そんな日に体の緊急事態が発覚したのだ。携帯には友達からの楽しそうな写真が送られてきていた。正直やりきれなかった。そのまま病院の受付ロビーで号泣した。

もう、こんな楽しそうな顔も見れなくなるんだ。思い出も作れないんだ。もう、会えないんだ。

死ぬんだ。

そう初めて感じた。

生きたい

この一言に尽きた。これからももっと一緒に過ごしたい。思い出も作りたい。喧嘩もしたい。高校を卒業して、大学生になって、たまにいつメンで集まって、高校時代の懐かしい話で盛り上がりたい。そういえば、あの頃はあいつが生きてたよな…としんみりとした会話に登場はしたくない。もう何も失いたくない。

「今日から緊急で入院できますか?」主治医からはそう告げられた。僕は入院したくはなかった。死ぬにはまだまだやり残したことが多すぎた。会っておきたい人もいる。伝えたいことをまだ伝えられてない人もいる。僕がいなければ、もしかしたら学校に来なくなってしまうかもしれないぐらい頼ってくれてる人もいる。今はまだ死ねない。けど、万が一のことを考えたらもう少し時間が欲しかった。もう2度と会えないかもしれない、そう思って会える人には会いたかった。伝えたいことは伝えたかった。主治医と相談して入院は同月3月末になった。体のことを考えたらギリギリの期間だった。でも、僕からしたら短すぎる期間だった。約2週間で人生最後のお別れをするなど不可能だ。

そもそも、病気のこと、手術のことを1ミリも話していない親友たちに真実を伝えるべきかどうか迷った。伝えたら心配してくれる。励ましてくれる。でも、同時に相当の心配をかけてしまう。少なからず、僕の大好きな当たり前の日常ではなくなってしまう。そう思い、3日間考えた結果、当時から大切な人にだけ真実を伝えることにした。何も包み隠すことなく、全てを打ち明けた。血液検査の結果も見せた。主治医からは、治療の選択肢として、死ぬかもしれない選択肢A、死ぬかもしれない選択肢B、治療せずに死をまつ選択肢C を示されたこと、どれを選択するのかで迷っていることもしっかり自分の言葉で伝えた。彼女の行動はは僕の予想を遥かに超えた。僕は「生きろ。治療を受けて絶対生きろ」そう言われると思った。けど、彼女は静かに聞いて静かに泣いていた。治療を受けて欲しいとは一言も言ってこなかった。100%理解していない自分が、無責任に治療を受けてとは言えない、そう思ったらしい。僕は自然と泣いてしまった。こんなにもオレのことを考えてくれている人が近くにいたんだ。

何がなんでも生きてやる。こんなところでくたばってたまるか。

強くこう思った。こんな感情は初めてだ。

もちろん行きたいとは強く思っていた。死にたくないとも思っていた。でも、ここまで強く生きたいと思ったのは初めてだった。あと2週間でこんなに素敵な彼女に会えなくなるのは嫌だ。一生そばにいたい。

この一心で手術までの2週間、相当な努力をした。

今までの無茶苦茶な生活習慣も改めた。無茶ばっかりしてたけど、それもやめた。辛い薬物治療にも耐えた。抗がん剤ではないけれども、強い吐き気が現れた。とても学校に通える状態ではなかった。でも、みんなに会えるのは最期になるかもしれない。そう思って、学校には毎日通った。手術の最終日まで。彼女の前以外では笑顔で過ごした。作り笑いではあるけど、楽しんだ。彼女の前だけは、どうしても泣き笑いになってしまう。どんなに我慢しても涙が溢れてしまう。先生たちを含めても、僕の手術のことを知ってるのは彼女だけだ。唯一の理解者で、何も言わずに一緒にいてくれた。弱音も嫌な顔せずに聴いてくれた。心が折れそうな時は励ましてくれた。大丈夫だよって言ってくれた。彼女のおかげで2週間を乗り越えられたのだと思う。どんなに辛いことがあっても努力し続けることができた。

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彼女の支えもあって、努力し続けて僕は生き延びている。それは努力が報われたのだろうか。僕はそうは思わない。むしろ、努力は報われないと思う。どんなに努力したって、それだけじゃ無駄だ。しないほうがマシかもしれない。

でも、こんな一言がつくとそれは逆転する。

なんとしてでも報われたい。

努力すればなんとかなるでしょ。みたいな軽い気持ちでは報われない。何も考えずにひたすら無心に努力しても報われない。なんとしてでも報われたい、そんな強い気持ちを持たないとダメだ。悩んで、立ち止まって、泣いて、周りに助けられて、、、そんな強い気持ちで努力すれば報われる。少なくとも、僕は報われた。

大事なのは、努力じゃない。

気持ち

それだけ。

なんとしてでも明日も生きていられるように今日も努力しよう。