2nd seasonの人生

人生最悪の出来事が起こった時、人間はどう生きるのか。

学校が辛いあなたへ

2021年度も早いものでもうすぐGWだ。GWといえば、五月病。 

5月の連休後に、学校や会社に行きたくない、なんとなく体調が悪い、授業や仕事に集中できないなどの状態を総称して「五月病」。. 初期症状としては、やる気が出ない、食欲が落ちる、眠れなくなるなどが挙げられ、 これらの症状をきっかけとして、徐々に体調が悪くなり、欠席や欠勤が続くことがある。

ある意味、風邪などの病気よりも恐ろしいかもしれない。あまり、知られていないが毎年、9月1日前後の72時間、子どもの自殺が多いらしい。五月病を引きずり続けた結果だろう。

正直なところ、死ぬほどつらいんなら、学校なんて行かなくていいと思う、

死ぬくらいなら休んだ方がいい(場合によっては辞めてもいいし、転校もアリ)

ただし。

「元・死ぬほど中学校がつらかった人間」として、言っておきたいことがある。

おそらく「いじめ」とか、人間関係のトラブルとかなのだと思う。子どもが学校に行きたくない理由は。もしそうだとしたら、自殺なんてする必要はない。

もし仮に、自ら死を選ぶ権利が認められるような時代になったとしてもだ。もっとも、子どもの自殺は認められないだろうけど。なぜかというと、「自殺に値する正当な理由」が無いと判断されるだろうから。少なくとも第三者の大人にとっては。

「自殺もやむを得ない」という話にはならない。

ようするに、当事者としては

「学校に行きたくない!学校に行くくらいなら死にたい!」

と考えていたとしても、別の誰かが客観的に見た場合、

「いやいやいや、そんなことで死ぬ必要ないだろ?」

と思ってしまうということだ。

実際には自殺以外にも、問題から逃れる方法はいろいろあって、選択肢はいくらでもある。

本当は、あなたがが思っているよりも世界はもっと広い。

選択肢も無数にある。

学校を辞めたら生きていけない、なんてこともない。

「学校に行かなくていい」というのは「部屋に閉じこもってゲームだけやってればいい」という意味ではない。勘違いしないように。

「つらいことがあったら逃げていい」と大人たちは言うが、実際に逃げたら最終的には「キモくて金のないおっさん」になって人生詰むじゃないか

というような意見をどこかで読んだことがある。

そのような意見は、全面的に否定する。なんせ、自分の頭で考えようとしていない。

そういう人間は、詰んで当たり前だ。

「◯◯さんに言われたから、言われたようにやりました」

そんな馬鹿な話はない。

僕はこう思う。あえて極論でいうと、

学校とは「人とのかかわり方を練習する場」である。

授業の中身なんて、ぶっちゃけどうでもいい。

歴史の年号が分からなくても、

物理の方程式を知らなくても、

そんなの全然、問題ない。

例えば、おバカタレントの鈴木奈々を例に出すが、成績の問題で学校を退学になった経歴の持ち主らしい。

めちゃめちゃ理想的な生き方してる。

人生がめっちゃ楽しそうだ。

バカでもいいのだ。

学校の勉強なんて出来なくてもいい。

人生には、もっと大事な事が山ほどある。

結局、学校に行くことで得られる一番大きなメリットは、

「人との関わり合い方を練習できる、学べる」

 って部分だと思う。

学校に行かないことが、その後の人生において大きなハンデになるんだとすれば、それは、授業の内容うんぬんよりも、「人との関わり合いを練習できるチャンスがかなり減った」ということだ。

どう頑張っても、人間はひとりでは生きていけない。

中には、無人島で独りで暮らすことができる人もいるかも知れないが、基本的には、みんな、お互いに、誰かを助けたり助けられたりして生きているん。

そういう意味では「人と関わること」 は誰の人生にとっても他人事ではない。

最低限の部分はなんとか身につけておかないと、あとあと後悔する可能性が高い。

極端な話ではあるけれど、糸井重里さんの言葉を借りると、

「みんなで集まろう」 と話になった時に集合がかかる人間は、その場に居れば何かの役に立つからお呼びがかかる。

だけど中には

「あいつは全く役に立たないけど呼ぼうぜ」

 という謎の理由で呼ばれてしまう人間もいる。

何にも役に立たないんだけど、でも何故か皆が必要とする人材。

それこそ理想であり最強のポジションだ。

人間的な魅力や価値とか、生きていける能力と、学校の勉強とは関係が無い。

だからまず、

「学校に行かなければ人生詰んでしまう」という思い込みは捨てよう。人生ってそんなに短絡的なものではない。

もしも今、自分が中学生で、学校でイジメられているとしたら、間違いなく学校辞める。余裕で辞める。

自殺するくらいなら、余裕で学校辞める。

学校というものには、当たりハズレがある。

たまたま自分の通った学校がハズレだっただけだから。

たまたま自分の振り分けられたクラスがハズレだっただけだから。

こんなもん、自分のせいじゃない。

しょうがない。運が悪かった。

自分とは相性が悪かった。

それだけのことだから。

さっさと逃げた方がいい。

耐え忍ぶとか、意味が分からない。

もしも自分なら、ただ普通の学校に転校するよりも、何かフリースクールみたいな集まりに行くと思う。自分と同じように、イジメられて学校を辞めた子どもたちとたくさん出会えるような学校を選ぶ。

同じ境遇の仲間がいるというのは、ものすごく心強いと思うし。

いじめられて苦しんでいる人の気持ちは、いじめられている人にしか分からないっい部分もあるから。

あとは、いじめ被害者の自助グループみたいな集まりに参加する。

自助グループ」というのは、同じ苦しみを抱えた人同士で集まって、お互いに励まし合ったり慰め合ったりするような集まり…という感じで、おそらく会に参加する人々の年齢も様々だろうし、そういう意味では普通に学校に通う以上に、実りの多い人間関係を学べる可能性もある。

他にも、地域のボランティア活動に積極的に取り組んだり、イベントに参加する。

まかり間違っても、学校を辞めたあと、家に閉じこもってゲームをやり続けるだけの生き方は選択しない。

 学校を辞めた以上は、学校に通っている連中と同様の「何か」を得るための努力をしなければならない。

しかも自分の頭で考え、自分で選び取っていかなければならない。

インターネットを駆使して、人と繋がることもかなり有効だと思う。

身近に理解者がいなくても、日本のどこかには、きっとウマがあう仲間がいるに違いない。というか、いる。(死ぬほどつらかったらブログを書くことをおすすめする。)学校という「ひとづきあいの練習の場」を失った分は、他で補う必要があるということだ。どっちにしても「人とかかわる練習」とは、どこかで取り組まければならない。

「学校がつらい…だから自殺します」という選択は無いという気がしてきたのでは無いだろうか。死ぬ以外に、やれることいろいろある。

一番面倒で、一番大きなミッションは「理解のない親の説得」かも知れない。

親が頑固だったり、視野が狭かったり、理解力が無かったりすると、ホント苦労するかもしれない。

でも、必ず、理解してくれる大人もいるから、あきらめてはいけない。

学校がつらくて自殺する必要なんて、全然無いから。

確実にそれ以外の解決方法があるから。

 図書館もウェルカムと言ってる。

もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。

鎌倉市図書館 (@kamakura_tosyok) 2015年8月26日

動物園もウェルカムと言ってる。

学校に行きたくないと思い悩んでいるみなさんへ

アメリカバクは敵から逃げる時は、一目散に水の中へ飛び込みます

逃げる時に誰かの許可はいりません。脇目も振らず逃げて下さい

もし逃げ場所がなければ、動物園にいらっしゃい。人間社会なんぞに縛られないたくさんの生物があなたを待っていますから

上野動物園[公式] (@UenoZooGardens) 2017年8月30日

多分、ネットで検索すれば、相談に乗ってくれる団体も山ほどあると思う。

子ども時代、学校に馴染めずに不登校だったけど、大人になってからめっちゃ人生をエンジョイしてるという人間は大勢いる。僕もその一人になりたいと思う。

今がさいこうだ。やほーーーーー!